夕方から、維新派の制作を長年勤めてこられたE女史の送別会があった。にもかかわらず、からだがどうしても動かなくて、大切な送別会を断念・・・。7年前に、大阪大正区のクブンガーという沖縄移民の部落を題材にした「水街」という作品で、A3横長100ページという巨大パンフレットをつくらせてもらったのが、E女史とのはじまりだったかなあ。それから、秋から冬になると、わたしのなかでは維新派の季節がめぐるようになって、大阪南港を離れてからは、夏の犬島や、室生村との出会いをくれた。とくに、奈良の室生村との出会いにおいては、ギャラリー夢雲とのその後の縁を考えても、わたしに大きな影響を与えたといっていい。

いまごろは役者やスタッフに囲まれて、お酒を飲んでいるかしら?と思いながら、テレビをつけてみるとなんとまあ、NHKにて今日は「ナツノトビラ」放映しているではありませぬか。この作品において、これまたパンフを編集させてもうたのが彼女との最後の仕事になった。これからは、通訳の仕事をもっとがんばっていこうと思うっていってたっけ。7年という歳月は、維新派の歴史のなかでは短い。でも、維新派って、なぜか、わたしの中では季節というか、風のような存在。松本雄吉さんのいうとおり、とどまらず、漂流していく、という性質をもっているからかもしれないね。漂流物でありながら、その存在は非常に濃い。そして、そこにかかわった事をかかわった人々は後世誇りに思いながら、語らう。そういえば、室生村ではよく、元・維新派なの。という人に会う。ある一定時期の看板女優だった方やら、大道具スタッフだったという方、いまもよくお手伝いにいっているという方・・・。維新派が変わらず、つねに新しく、新陳代謝されていくのは、松本雄吉という人がひとところにまったく持ってとどまっていないからなのかな。つねに、維新、な存在であることはたいへんだ。こうやって、テレビをみながらブログを描いていると、わたしのコトバづくりのなかにも雄吉さんの美しい単語の連鎖が少なからず影響していると思うもの。たくさんの漂流物が流れ着き、また、流れていく。留まらない、維新の維新派。
E女史のこれからを、陰ながら祈りながら・・・。
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