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まめとみつ : コピーライター 村上美香&「柴犬まめ と みつ」のコトバ・グラフティ。

広告批評 2007年2月号掲載 東學インタビュー

絵の女たちは、墨と精子でできている

東 學

  ……嘘ですよ、嘘。墨に精子なんか混ぜたら、どろどろにねばって細い線が描かれへんし。(笑)でも、二十代の頃はよくやってたんです。墨画ではなく、アクリル絵具でキャンバスにフェティッシュ系の絵ばっかり描いていた頃かなあ、絵具に自分の精子を混ぜこむんですわ。ホンマですよ! 絵に深みが出るとか、味が出るとか、そういう意味はなくて、単に自分の描いた絵の女にイケるか? と思ったから。絵の中の女も僕も、それから絵を見てくれる人たちも、ごく自然に感じてくれたらええなあ、と思うんです。例えば、カップルで見に来てくれた人が帰りにエッチしたくなった、なんていう話を聞いたら、それでオーケー! ごっついうれしい。まあ、こんな感じでアホなこと言いながら、好き勝手に女性の裸ばっかり描いてきたわけです。ただ、“品”と“毒”だけはなくさんようにね。

  最近は、ずっと墨で描いています。日本を描こうかとか、和を表現しようとか、そういう意識もないんですよ。自分の描きたいものが明確になってきて、どんどんエッジをきかせていったら、色もいらなくなったし、余計な線もいらなくなった。いつのまにか墨の線(白と黒)だけの、いまの表現形態が生まれていったんです。
  一本の墨の線だけで、いかに女の人の丸みやわらかさ、存在そのものを浮きたたせるか、そこらが妙味。本当だったら鎖骨もあるはずだし、首や腕に、もっと線が入るんやろうけど、最低限の本数で「吸い付きたい!!」って思わせるほどの質感を持たせたいんで……ずっと究極の一本の線を探していますね。迷いますよ、もちろん。(笑)「もう一本いるかな」とか、「この線は長くした方がええかな」とか。下書きで、何回も試して、ムダな線を減らします。
  色や線だけではなくて、体のパーツもそぎ落としてることに気がつきました? 顔に、眉がないでしょ? 眉は表情の表れやすいパーツですし、そのカタチによって時代性が出てしまう。江戸の女なのか、最近の女なのか、生きているのか、死んでいるのかさえも超越した存在にしたいんですね。
  瞳に色を入れないのも特徴のひとつ。最初の一枚、黒い瞳にしたことがあったけど、すごい違和感があってやめたんです。瞳の色素がす〜っと抜けていると、不思議なもので、脳天の奥の方からものを見ているような顔になる。人間か妖怪か神仏かわからんような表情になる。“見ている・見られている”というより、“見透かされている・見抜かれている”という顔になって、ゾクっとする。
  前に、劇作家のわかぎゑふさんが個展に来てくれて、「この女の人、何を見てはんねやろう。この人の瞳の先にはきっとええ男がおるんやろなあ」と言うてくれはって、「ええ男って、俺? 俺?」と調子にのっていたら「あんたちゃうわ」としばかれましたけど。(笑)最後に「學ちゃんの絵で、私、芝居一本書くわ」と言ってくれたときは、うれしかったですね。

  生まれ育ったのは京都。日本画はごく自然な存在として自分の中にありました。曾我蕭白や伊藤若冲なども、僕にとっては近所に住んでいるめっちゃ絵の上手なおっちゃん、みたいな。(笑)もちろん尊敬しているし、憧れの絵師です。生きている時代も違うんですけどなにか近い感覚、そこにはピカソにもダ・ヴィンチにもないもの……日本の血、みたいなものがあるんでしょうね。
  オヤジも扇面画家(東笙蒼)だったので、家にはいつも絵がありました。面白いオヤジでしたよ。中学一年のとき、自習時間にヌードを描いていたのを先生に発見されて、親に報告がいったんですよ。帰ってから怒られるかと思ったら、「エッチな絵描いたらしいけど、どんなん描いたんや?」って、その場でまた描かされた。(笑)

  花を描くようになったのは最近。昔は描かれへんかったんです。花だけはオヤジに勝たれへん、と思いこんでましたから。女性を描くのは、僕のほうがうまいと思ってましたけどね。(笑)オヤジも「學、ちょっとこの紫式部の顔、描いてくれへんか?」と頼んできたりして、絵を手伝ったこともありました。でも、あるとき、花のめしべとおしべは性器そのものだと気がついたんです。で、オヤジと同じものを描いてると思ったら、呪縛が解けました。
  花を背景に書いている「夜伽ノ曼珠」と「夜伽の椿」は日本の妖怪をモチーフにしたもの。「夜伽ノ曼珠」は妖怪“百目”。着物に無数の眼が描かれていて、こちらを睨んでいる。まわりに毒々しい曼珠沙華の赤を咲かせました。「夜伽の椿」は、“轆轤首”。着物の柄には椿を配しました。椿は咲き終わると首から潔く落ちるでしょ? 長い轆轤首に対して、咲き終わると、ぽとんと首が落ちてしまう椿の対比。こうやって絵の中に毒を盛っていくんです。
  「女性をなんで妖怪にしちゃうの?」「なんで毒を盛るの?」ってところでいうと、例えば、妖怪って人の妬みや悲しみなど負の部分が凝縮されて具現化された存在ですよね。ただ美しい女性を描くのではなくて、たぶん、僕の絵にもそういった女性たちの負の部分がとぐろを巻いて出てきてるんちゃうかな。で、描きあがった頃にはすべてが昇華されて、母のような、仏のような存在に変わっていく。

  高校時代はアメリカに留学して、ずっと絵を描いていました。帰国後は、イラストレーションの専門学校に。でも「絵だけは、自分の聖域に置いておきたい」と思い、仕事はグラフィックデザインを選びました。「天井桟敷」や「状況劇場」の演劇のポスターに憧れてましたから……そしたら、こっちも面白くて。いまは、仕事のほとんどが演劇のグラフィックワーク。阿佐ヶ谷スパイダースの「桜飛沫」の挿画は大変でしたね。九日間で出演者十七人分の絵を仕上げました。普段は面相筆という細い筆と、背景の広い面を塗る平筆で、十日間くらいかけて仕上げるんですけどね。俳優さんのいろんな角度の写真のほかに、役のイメージがあるからと、演出・脚本家の長塚圭史さんからは全員分、浮世絵の元絵の指定があったんです。でも、会ったことのない人なんか、似せて描くのが難しくて何度かダメ出しが……。(笑)

  好きなことを好きなようにやってきたので、ストレスはないけど、とにかく時間が足りない!! もっと描きたいもんがいっぱいあるんで。
  夢ですか? う〜んと……松井冬子さんのサインがほしい!!(笑)