東 學 墨画集『天妖』制作日

墨の女の息吹くまで

ある絵師と、涙もろいプロフェッショナルたちの本造りBLOG

07年5月、パルコ出版より初リリース!!

月あかりで、複写するということ。

東の絵は平均して畳一畳ほどの大きさである。「絵」を「本」にするとき、当然、大きな絵をそのまま印刷版下することはできないので、いったん「絵」を忠実に「写真撮影」するという行程が必要だ。この作業を「複写(ふくしゃ)」という。絵をそのまんま撮ればいいんでしょ?・・・って、そんな簡単なもんじゃないんですよ、これ。そのまんま、何もしていないように、見たまんま、東の筆の向かう先の空気感やそこに潜む気配みたいなものをまんま写真の世界に移し変えていくという作業は、想像以上に神経をつかうものだ。
07gaku.jpg06shun.jpg
「ねえ、俊ちゃん。学さんの絵を複写するときってさ、なんていうか、別に、俊ちゃんテイスト・・・みたいな写真家としてのニュアンスが求められるわけではないやん。でも、やっぱりこの複写は俊介じゃないとダメだ、と学さんはいうわけだけど、その、俊介じゃないとダメというところには、どんなものが潜んでいるわけ?」・・・打ち合わせ後の俊介をつかまえて、私は聞いてみた。「学さんの絵はね、鈍い光でないと複写できないんですよ。たとえば墨の線はなんとか拾えても、和紙のニュアンスみたいなものまで普通の光では表現できない。だからね、僕は、いっかい天井にバウンスさせた光を大きな布で受けて、鈍い光をつくるんです」・・・鈍い、光?「そう、大きな光の影をつくって、複写するんです」・・・ほお、大きな光の影? 「月あかりのような・・・そう、学さんの絵は、月あかりの下で複写しているという感じなんです」。へえ・・・それは面白い。「そのいちばんいい光の具合を、学さんの絵を何回も複写していくうちに見つけていったんですよね。だから、やっぱり、この複写は僕にしかできなかった、と自信をもっていえると思います」・・・東学の天妖たちは、和紙に描かれたあと、月あかりをゆっくりと浴びて、フィルムに転写されていくというのだ。なんとも幻想的な行為である。このあと、そのフィルムは「スキャニング」という作業を経て、印刷工程に移るわけだが、ここに関わる全てのプロフェッショナルたちが、東の絵を、「まるでなにもしていないかのように」画集に再現しようとチカラを尽くすのだ。「まるでなにもしてないかのように」・・・絵の女たちを浮かび上がらせるその陰にある月あかりの力に、私は引き寄せられる。

■ このブログを応援していただけるかたはクリックお願いします ⇒
2006年11月27日 00:12  |  
« 甘味なる、作家VS編集者のせめぎあい。 | トップページに戻る | 昇天する、女たち »
コメントを投稿


コメント


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL  http://188.jp/mt/mt-tb.cgi/299

« 甘味なる、作家VS編集者のせめぎあい。 | トップページに戻る | 昇天する、女たち »

これまでのエントリー

東 學 近影

【PROFILE】

東 學 gaku azuma

株式会社 一八八 所属
絵師・アートディレクター
1963年、京都生まれ。
父は扇絵師である東笙蒼。幼い頃から絵筆に親しむ。 アメリカのハイスクール時代に描いた『フランス人形』はニューヨークのメトロポリタン美術館に永久保存されている。 20才でグラフィックデザイナー・アートディレクターとしての頭角を現し、主に舞台やテレビ、音楽関係などのグラフィックワークを手がける。 97年、世界的に活躍する劇作家・松本雄吉にアートワークを認められ「維新派」の宣伝美術に就任。 毎日放送ハイビジョン番組『ポートレート』の映像ディレクションにて、(財)日本産業デザイン振興会主催のグッドデザイン賞・特別賞を受賞。 03年、森田恭通氏プロデュースのニューヨーク高級ジャパニーズレストラン“MEGU”にて装飾絵画(墨絵を中心にした浮世絵シリーズ)を製作。 また、06年“MEGU”の2号店(トランプタワー店)でも装飾絵図を手がけた。 04年『ジャパンアヴァンギャルド~アングラ演劇傑作ポスター100』(PARCO出版)の装丁、 05年『林静一 傑作画集 少女編 淋しかったからくちづけしたの』(PARCO出版)の装丁。 同年、画家・鉄秀とのコラボレーションによる大型作品『麒舞羅』が大阪市長賞に輝く。 アート・ディレクターとしての活躍のみならず、絵師としての活動も各界から注目されている。

※上記内容をWikipediaに投稿しました。